2023-05-30
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
前回は産業革命によって、生産力が飛躍的に向上したというお話を書きましたが、政治と経済がグローバル化したのは15世紀末の大航海時代が発端です。そこで、今回は大航海時代の話をしたいと思います。
シュサイ:「前回は産業革命によって生産力が飛躍的に向上したという話をしたけど・・・・・経済的な発展を成し遂げるためには、貿易が不可欠なんだ。どんなにいいものを作ったところで、買ってくれる相手がいなかったら儲からないからね。つまり、産業革命が1733年からの100年ぐらいだと考えると、その時代にはすでに生産力を上げて大量生産をしても、製品を作ったら買ってくれる相手がいたことになるよね。そこで、少し時代をさかのぼって、当時のヨーロッパの様子を見てみよう。」
A子:「難しそう・・・・・日本史すら苦手なのに。」
B君:「オレは、漫画「世界の歴史」を読んでいるから少しはわかるかも・・・・・」
A子:「そうよね。いつも授業の合間に読んでいるもんね。どうせ私は・・・・・」
シュサイ:「日本史にも関係するから、覚えておくといいよ。鉄砲が日本に伝来したのはいつだっけ?」
B君:「以後予算、だから1543年です。」
シュサイ:「そうだね。どこの国の船が種子島に漂着したんだっけ?」
B君:「ポルトガルです。」
シュサイ:「そうだね。当時のヨーロッパは
大航海時代(>>
詳しくはこちら)と呼ばれて、いろいろな国が
探検家を送り出したんだが・・・・・先陣を切ったのが
ポルトガルなんだ。まず、
ポルトガルの後ろ盾で、
バソロミュー・ディアス(
バルトロメウ・ディアス >>
詳しくはこちら)が
ヨーロッパの南にある
アフリカ大陸の南端である
喜望峰まで達したのが
1488年のことだ。実はなぜ
大航海時代が訪れたかというと、この時代の
ヨーロッパは文化的には
ルネサンス(>>
詳しくはこちら)の時代で・・・・・
ルネサンスの三大発明とされているのが
羅針盤と
火薬と
活版印刷なんだ。」
C君:「おお、ルネッサ〜ンス!」
B君:「髭男爵じゃねえ!」
C君:「じゃあ・・・・・ログ・ポースの発明?」
B君:「ワンピースでもない! お前グランドラインに沈めるぞ!」
シュサイ:「わかった、わかった・・・・・・知ってる言葉に反応するのは悪いことではないんだが・・・・・2008年の北京オリンピック(夏季)の開会式でもやっていたけれど、実はこの三つとも中国で発明されたもので、世界史の教科書では「三大改良」と表記するものもあるんだ。つまり、中国での発明が草原の道(ステップ・ルート)、オアシスの道(オアシス・ルート、狭義のシルクロード)、海の道(マリン・ルート)の三つの経路で西洋に伝わり、発展したわけだ。さて、ここで問題です。その頃のヨーロッパで、最も高く売れた東洋の特産品は何でしょう?」
B君:「陶器かな? いや、お茶や絹製品かな?」
シュサイ:「それらも高く売れたんだが・・・・・最も必要とされたのは
コショウ(>>
詳しくはこちら)だ。
ヨーロッパ人は
肉を良く食べるわけだが・・・・・
肉の調理には塩と胡椒は欠かせないから、
東南アジアの
香辛料はすごく珍重されたんだ。
コショウには強力な
殺菌・抗菌作用があるから、
冷蔵技術が無かった時代にはすごく珍重されて、
金や
銀の重さと
同重量で交換されていた時代もあったほどなんだよ。
お茶の葉(>>
詳しくはこちら)も
運んでいる途中で変化したんだ。
お茶の葉が
緑色をしていれば緑茶(不発酵茶)、
ある程度発酵したお茶の葉がウーロン茶(青茶:半発酵茶)、
完全に発酵したお茶の葉が紅茶(完全発酵茶)だが・・・・・何ヶ月もかけて
ヨーロッパへ
お茶の葉を運んでいるうちに
発酵したのが
紅茶なわけだ。だから、イギリスでは
午後の紅茶(アフタヌーンティー)を楽しむ習慣があるわけだが・・・・・げっ・・・・もう時間が来ちゃった。しょうがない、続きは次回にまわそう。」
というわけで、次回は本格的に大航海時代の話に入ります。それでは、また。
2023-05-09
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
前回は、自給自足経済が商品経済に発達する過程を俯瞰(ふかん)しました。経済が大幅に発展したのは産業革命以降の話になりますので、ここからは少しゆっくりと経済の歴史を書いていきたいと思います。
シュサイ:「前回は、
農業中心の自給自足経済から少しずつ生産力が向上して、
市場経済が発達したという話までしたんだったね。
生産力が飛躍的に向上するには、
産業革命(>>
詳しくはこちら)を待たなければならなかったわけだが・・・・・
産業革命期に発明されたものにはどんなものがあるか知っているかい?」
B君:「たしか、ジェニー紡績機とか・・・・・」
B君:「公害だなあ。喘息(ぜんそく)になりそうですね。」
C君:「人権侵害で訴えてやる。」
A子:「はいはい、わかった、わかった。ちょっと黙っててくれる?」
シュサイ:「
アークライト(>>
詳しくはこちら)は
水力紡績機を発明しているけど・・・・・当時は
公害や
エコロジーの概念は無いから、まあ仕方ないな。ちなみに、
産業革命といっても数年の間に起こったわけではなく、およそ
100年間ぐらいかけて発展したんだ。」
C君:「遅っ!!」
A子:「あんただったら1000年かけても無理よ!」
シュサイ:「遅いように感じるかもしれないけど、自給自足経済時代が15世紀ごろまで続いていて、その後の商品経済時代が15〜18世紀の400年だとすると、たった100年で飛躍的に進歩したんだよ。蒸気機関車ができるまでは、移動手段はせいぜい馬なんだから。」
B君:「それはそうだなあ。」
シュサイ:「ところで・・・・・蒸気機関がはじめて利用されたのが紡績機だといえるわけだが・・・・・そのころの紡績機は何の糸をつむいでいたのかな?」
C君:「知ってる! カイコ!」
A子:「あんた、バカぁ?」
C君:「え、何で? 違うの?」
A子:「・・・・・ほんとに、バカね。」
B君:「へ〜〜、イギリス人って着物を着てたんだ?」
C君:「あっ、そうか。 ということは・・・・・」
シュサイ:「ヒツジの毛、つまり羊毛だね。その後は綿花になるけどね。」
C君:「いやあ、当然じゃないですか。わざと間違えただけですよ・・・・・皆わかってないなあ。」
B君:「ウソをいうな、ウソを。」
シュサイ:「・・・・・ハァ・・・・・・当時は毛織物工業がすごく儲かったんだ。なぜ儲かったかという話は・・・・・時間がきたから、次回にするか。」
というわけで、産業革命は
ジョン・ケイ(>>
詳しくはこちら)が
飛び杼(とびひ)を発明してから、
ニューコメン(>>
詳しくはこちら)や
ワットの
蒸気機関の改良を経て、
蒸気船や
蒸気機関車(>>
詳しくはこちら)が実用化されるまでの
およそ100年間を指します。この時期の
生産技術の進歩と
当時の社会のしくみが
どのように関わっていたか、という話も大事な話ですので、次回に少し詳しく書いていくことにします。それでは、また。
2023-04-18
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
アメリカで2つの銀行が経営破綻するような昨今ですが・・・・・中学受験生にとって、一番理解しにくい内容が経済の話だといえます。もともと経済の概念自体は高校の政治経済で詳しく学習する単元ですから、しかたがないのですが・・・・・現代を生きる人間としては、経済問題を避けて通れないので、小学生にもわかるように経済の概念やしくみについて書いてみたいと思います。
シュサイ:「最近、株が上がったとか下がったとか、円安だとか騒いでるけど・・・・・わかる?」
A子:「わかるような、わかんないような・・・・・」
シュサイ:「そうだよね。資本主義経済が本当はどういうものかがわかってないから、当たり前だね。でも、そこがわからないと経済のしくみがわからないから、初めて聞く言葉が多くて難しいかもしれないけど、数回に渡って経済の話をしよう。まず世界的に見ると、中世封建社会ぐらいまでは自給自足経済だったんだ。たとえば、平安時代や鎌倉時代には荘園の大きさが財力を示す基準だったけど、それを耕す農民たちがいて、はじめて米が収穫できるわけだよね。だから土地と農奴が財産だったといえるんだが・・・・・生産力の低かった当時は、その土地から収穫できる作物は、自分たちが生活するだけの分を作って消費する自給自足経済と変わらなかったんだ。つまり、社会全体で生産したものを社会全体で消費するだけで、生活自体が向上したわけではないんだ。」
B君:「なるほど。確かに当時は、
土地や
人の奪い合いが戦いの原因だから、
御恩と奉公(>>
詳しくはこちら)の関係が成り立つのか。」
シュサイ:「そう。ところが日本と違って陸続きのヨーロッパでは、15世紀〜18世紀ごろに商業資本家と呼ばれる商人たちが台頭して、商品経済(市場経済)が発達した。つまり、農産物を買い取って商品として他で高く売ったり、職人たちの同業組合(ギルド)が作った手工業製品を商品として扱って、職人を支配して儲ける人間が出てきたわけだ。」
シュサイ:「そうだね。日本の
座はヨーロッパの
ギルドに比べるとかなり規模が小さいけれど、同じだと思って良いよ。さてヨーロッパでは
他国と国境を接していることや、すぐ近くに
イギリスという島国があったこと、中国からの
シルクロードが通じていたことなどの理由で
貿易がすごく発達した。そして土地に束縛されている農民と違って、
商人たちは移動ができるから、ヨーロッパでは
商業都市が発達したんだ。日本でも
伝統工芸品で有名な町はあるけど、ヨーロッパの都市は
城壁に囲まれたり、
自治権があったりしたことで、日本の都市とは全然イメージが違うんだ・・・・・まあ、こういう話をすると本筋からそれてしまうから割愛するけど・・・・・ようするに、
農業主体の
自給自足経済から、
手工業製品主体の
商品経済へと移行し、
貿易が盛んになったことや
貨幣が流通するようになったこともあって、
市場経済(>>
詳しくはこちら)が発達したわけだ。」
C君:「要は、農業よりも商業の方が儲かるということか!」
A子:「あんた、それしか言わないよね。」
B君:「まあ、第一次産業が天候などの理由で不安定なのは当たり前だから・・・・・でも、第二次産業を飛び越して、第三次産業の商業が発達している気がするなあ。」
シュサイ:「いいところに気がついたね。自給自足経済が商品経済に移行するためには、生産力の向上が不可欠だよね。つまり、自分の食べ物を誰か他の人が作ってくれるから、食べ物以外の手工業製品を作ることに専念する職人が生まれる。だから、農業の生産性が向上したことが手工業製品の生産と流通を促したことになる。でも、よく考えてごらん。農業製品も手工業製品もすべて人の手が関わっているよね。つまり、人間が作る以上、一日に生産できる個数はおのずと決まってしまう。だから、工業が爆発的に発展するためには、産業革命が不可欠だったんだ。」
B君:「なるほど。日本史だけを勉強しているとそういう動きはわからないもんなあ。」
シュサイ:「蒸気機関の発明や紡績機の発明などによって、爆発的な生産力の向上があって、はじめて本格的な工業が発達したわけだが・・・・・時間がきたから、続きは次回にしようかな。」
というわけで、一気に中世と近世の経済体制を概観しました。産業革命以降が資本主義経済と呼ばれる経済体制になるわけですが、ここからは少し細かく時代を句切って見ていくことにします。それでは、また。
2023-03-21
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
前回は大化の改新で4つの柱が制定されたというところで終わりました。さて、今日は・・・・・
シュサイ:「前回は大化の改新で4つの方針が決められたところまで話したんだったね。4つの方針というのは、
①公地公民制
②班田収授法
③国郡制度
④租庸調
B君:「そうかあ。確かに今よりものんびりしていた時代だもんなあ。」
シュサイ:「いずれにしろ、日本が律令国家となるには、大宝律令の制定までかかったわけさ。さて、国にとって一番大事なのは税の徴収なわけだ。だから、そこに注目して日本の歴史を振り返ってみることにしよう。」
C君:「やっぱりお金は大事だなあ。」
シュサイ:「
税とお金つまり
貨幣は違うんだけどなあ。まあ、お金が好きなC君のために、ちょっと横道にそれるけど、
貨幣の話(>>
詳しくはこちら)でもするか。
富本銭(ふほんせん >>
詳しくはこちら)や
和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう >>
詳しくはこちら)は存在していたけれど、国が作る
貨幣にとって最も必要なのは、その
価値に対する民衆の信頼なんだ。実際、
飛鳥時代の
和同開珎から始まって平安時代中期までに
12種類の貨幣(>>
詳しくはこちら)が作られたんだけれど、
信用が無くなって使われなくなってしまった。
実際に日本の貨幣制度が統一されたのは江戸時代だったから、日本では銅銭は600年間作られなかったことになる。」
C君:「えっ、お金が無かったの!」
シュサイ:「そういってもいいね。お金には4つの必要条件がある。
①価値が認められること(価値尺度)
②交換できること(交換手段)
③支払いができること(支払手段)
④価値が保存できること(蓄蔵手段)
の4つだ。ところが
安定した通貨というのはなかなか無いんだ。
価値尺度について、君たちにわかりやすい例を挙げると、
第二次世界大戦後しばらくして決められた
円の価値は、
1ドル=360円(>>
詳しくはこちら)だった。ところが今は
1ドル=130円ぐらいだから、
ドルから観た円の価値が約3倍になったことになる。つまり、
昔のアメリカで360円だったものが、今なら130円で買えることになる。もっとも約70年経っているから、
インフレを考えると一概には言えないけどね。現在の通貨は、
国の信用が元になった管理通貨制度の下で発効されているけど・・・・・もしも
赤字国債を乱発したり、
偽札が大量に出回ったりしたらどうなる?」
B君:「ええと・・・・・お金の価値が下がって、今までの金額じゃ買えなくなります。」
シュサイ:「そうだね。このように、②〜④の機能が保障されている現代通貨であっても、①の価値尺度は変化しやすいわけだ。お金の価値というのは、国家に力があって初めて信用されるものなんだ。ところが、昔はコロコロと政治体制が変わるから、だれも政府の言うことを信用しないわけ。だから、お金よりも米のほうが信用されたんだ。したがって、税という漢字はのぎへんを書くわけ。」
C君:「だから僕は最近、お金よりも食べ物のほうに惹かれるのか!」
B君:「それは単にお前が卑しいだけだろ!」
シュサイ:「・・・・・またか。さて、
米を作るのに必要なのは土地だよね。だから、土地を
どのように分配するかが大きな問題だったわけだ。したがって
土地の所有の仕方は、
飛鳥時代の
公地公民制・
班田収授法(>>
詳しくはこちら)⇒
奈良時代の
三世一身法(さんぜいっしんのほう >>
詳しくはこちら)を経て、
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう >>
詳しくはこちら)⇒
荘園(しょうえん >>
詳しくはこちら)の発生、
鎌倉時代の
御恩と奉公の関係⇒
太閤検地(>>
詳しくはこちら)による
荘園制度の完全な崩壊⇒
明治時代の
地租改正(ちそかいせい >>
詳しくはこちら)へと進化していった。というわけで、国家を運営するための
税金をどうやって徴収するかという工夫は、今も昔も変わらないってことだね。じゃあ、今日はここまでにしようか。」
2023-02-28
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
さて、前回から
古代の話に入りました。古代は、日本史上では
古墳時代・飛鳥時代・奈良時代・平安時代の4つに分けることができます。時代の分け方にはいろいろありますが、
古墳時代 (>>
詳しくはこちら)と
飛鳥時代(>>
詳しくはこちら)は
都(朝廷のあった場所)の位置で分けられています。そしてそれ以降は、都の位置によって、
奈良時代、平安時代・・・・・と呼ばれることになります。
シュサイ:「前回は、古代の
黎明期(れいめいき)である
古墳時代の話をしたけれど、今日は
飛鳥時代の話に入ろう。さて、
古墳時代には、
大和朝廷の豪族たちが争いばかりしていたから、大王(おおきみ)は
氏姓制度を定めて、政権を安定しようとしたんだったね。大和朝廷の豪族たちは、すぐれた技術や
鉄を求めて、最初は
朝鮮半島の
加羅(から、伽耶:かや >>
詳しくはこちら、
任那:みまな・にんな・イムナ >>
詳しくはこちら)と、しばらくしてからは
百済(くだら・ひゃくさい・ペクチェ >>
詳しくはこちら)と結びつきを強めていた。要するに、自分たちの勢力を強くするには、
渡来人からもたらされる大陸文化が不可欠だったからだね。ところが、この渡来人たちを多く従えていた
蘇我氏(そがし)がライバルの
物部氏(もののべし)を倒して、
大王を凌ぐほどの力を持った。そしてその頃は、朝鮮半島では
加羅が
新羅(しらぎ・しんら・シルラ >>
詳しくはこちら)に滅ぼされ、
中国でも
隋(ずい)が国内をまとめて、朝鮮半島に進出しようとしていた時代だったんだ。つまり、
国内・国外とも不穏な時代だったわけだ。」
A子:「う〜〜ん。わかるような、わからないような。」
シュサイ:「たしかに、あまり馴染みの無い国名がたくさん出てくるからピンとこないだろうけど。でも、これを何とかしようと、
日本のスターが登場する。
聖徳太子(>>
詳しくはこちら)だ。」
C君:「おお、昔の一万円札!」
B君:「また金かよ・・・・・。」
シュサイ:「豪族たちをまとめるために必要だったのは、はじめは権力と権威だったよね。でも、権力や権威は弱まるとおしまいだから、聖徳太子は別の基準で国を治めようとしたわけだ。さて何でしょう。」
B君:「憲法十七条です。」
シュサイ:「そうだね。権力や権威ではなく、
法で国を治めようとしたわけだ。そして、その中でも書かれているように、
仏教の教えも新たな規範としようと考え、
四天王寺(>>
詳しくはこちら)や
法隆寺(>>
詳しくはこちら)を建立(こんりゅう)したわけだ。また、中国を統一した隋(ずい)の制度や文化を取り入れて政治の仕組みを整えるために、
小野妹子(おののいもこ)を
遣隋使(けんずいし)として派遣し、
冠位十二階(>>
詳しくはこちら)を制定した。このように
古墳時代〜飛鳥時代には、古墳やため池などをつくる
土木技術、
土師器(はじき >>
詳しくはこちら)から
須恵器(すえき >>
詳しくはこちら)へとよりすぐれた器をつくる技術、
製鉄の技術、
養蚕と機織の技術そして
漢字・仏教・儒教などの文化が渡来人から日本にもたらされたわけだ。」
A子:「へ〜〜、たくさん教えてもらったんだ。」
C君:「そうなんだ!」
2023-02-07
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
原始時代の話がやっと一息ついたので、今日から古代についての話を始めます。最初は古墳時代についてです。
シュサイ:「前回までで
原始時代の話が終わったので、今日から
古墳時代の話に入るよ。
日本では
3世紀後半〜7世紀までを
古墳時代(>>
詳しくはこちら)と呼ぶわけだが・・・・・
弥生時代に稲作が発達して貧富の差がついたのはわかったよね。」
一同:「は〜〜い。」
シュサイ:「人間の欲というものは際限が無いものでね、衣食住が普通にできるようになり、金銭的にも恵まれるようになると、今度は偉くなって周りの人を従えて、自分の言うとおりにさせようと思うんだよ。」
C君:「お金で解決できないこともあるのか。」
A子:「当たり前でしょ。どんなにあんたがお金を持っていても、私はあんたの言うことなんてきかないもん。」
C君:「ひどいなあ。世の中お金で解決できることは多いんだぞ。」
B君:「お前、今いつの時代の話をしてると思ってるんだよ。」
C君:「あ、そうか。」
シュサイ:「あのね・・・・・今の君たちみたいに、当時の
豪族たちは
争いばかりしていたわけ。そこで、必要になるのは
政治の仕組みなわけ。だから、
ヤマト政権(大和朝廷:やまとちょうてい)が生まれた。当時の豪族は血縁関係でつながっていて、
氏(うじ >>
詳しくはこちら)と呼ばれていた。これが、
蘇我(そが)氏(>>
詳しくはこちら)とか
物部(もののべ)氏(>>
詳しくはこちら)という集団になるわけだ。そして、その
家柄に応じて
臣(おみ)とか
連(むらじ)などの
姓(かばね)を与えて、
政治に参加させたわけ。
姓(かばね >>
詳しくはこちら)というのは役職みたいなもんだね。これを
氏姓制度(しせいせいど >>
詳しくはこちら)と言うのさ。」
B君:「ふざけんな、何でお前が
臣なんだよ。お前は
奴婢(ぬひ >>
詳しくはこちら)だろう。」
A子:「そうよ。そうよ。」
C君:「ヌヒ?って何。」
B君:「お前、もっと勉強しろよ。」
シュサイ:「まあ、
氏姓制度が完成するのは、
大化の改新(>>
詳しくはこちら)以降で
戸籍制(>>
詳しくはこちら)ができた後だから・・・・・・かなり先だけどね。で、話を元に戻すけど・・・・・
豪族たちをまとめるのに必要なのは何だと思う?」
B君:「権力ですか?」
シュサイ:「うん、そうだね。あともうひとつ必要だね。」
C君:「お金!」
B君:「いいかげん、そこから離れろよ。もうひとつ必要だっていうんだから、必要なのは権威だ、権威!」
シュサイ:「正解。
権力や
権威の
大きさを示すものが
古墳(>>
詳しくはこちら)だったわけだ。自分の死後も子孫や他の豪族たちに影響力を及ぼすためには、その
象徴としての
大きな墓が必要だったんだろうね。
日本の古墳しかり、エジプトの
ピラミッド(>>
詳しくはこちら)しかり、
大きな建造物とか
立派な建造物とかが
反乱を抑えるための権威づけに必要だったのかもしれないね。さて、じゃあ続きはまた今度にしようか。」