中学入試に役立つ学習法:社会編その7
2023-02-28
カテゴリー:中学入試に役立つ学習法:社会編
さて、前回から古代の話に入りました。古代は、日本史上では古墳時代・飛鳥時代・奈良時代・平安時代の4つに分けることができます。時代の分け方にはいろいろありますが、古墳時代 (>>詳しくはこちら)と飛鳥時代(>>詳しくはこちら)は都(朝廷のあった場所)の位置で分けられています。そしてそれ以降は、都の位置によって、奈良時代、平安時代・・・・・と呼ばれることになります。
シュサイ:「前回は、古代の黎明期(れいめいき)である古墳時代の話をしたけれど、今日は飛鳥時代の話に入ろう。さて、古墳時代には、大和朝廷の豪族たちが争いばかりしていたから、大王(おおきみ)は氏姓制度を定めて、政権を安定しようとしたんだったね。大和朝廷の豪族たちは、すぐれた技術や鉄を求めて、最初は朝鮮半島の加羅(から、伽耶:かや >>詳しくはこちら、任那:みまな・にんな・イムナ >>詳しくはこちら)と、しばらくしてからは百済(くだら・ひゃくさい・ペクチェ >>詳しくはこちら)と結びつきを強めていた。要するに、自分たちの勢力を強くするには、渡来人からもたらされる大陸文化が不可欠だったからだね。ところが、この渡来人たちを多く従えていた蘇我氏(そがし)がライバルの物部氏(もののべし)を倒して、大王を凌ぐほどの力を持った。そしてその頃は、朝鮮半島では加羅が新羅(しらぎ・しんら・シルラ >>詳しくはこちら)に滅ぼされ、中国でも隋(ずい)が国内をまとめて、朝鮮半島に進出しようとしていた時代だったんだ。つまり、国内・国外とも不穏な時代だったわけだ。」
A子:「う〜〜ん。わかるような、わからないような。」
C君:「おお、昔の一万円札!」
B君:「また金かよ・・・・・。」
シュサイ:「豪族たちをまとめるために必要だったのは、はじめは権力と権威だったよね。でも、権力や権威は弱まるとおしまいだから、聖徳太子は別の基準で国を治めようとしたわけだ。さて何でしょう。」
B君:「憲法十七条です。」
シュサイ:「そうだね。権力や権威ではなく、法で国を治めようとしたわけだ。そして、その中でも書かれているように、仏教の教えも新たな規範としようと考え、四天王寺(>>詳しくはこちら)や法隆寺(>>詳しくはこちら)を建立(こんりゅう)したわけだ。また、中国を統一した隋(ずい)の制度や文化を取り入れて政治の仕組みを整えるために、小野妹子(おののいもこ)を遣隋使(けんずいし)として派遣し、冠位十二階(>>詳しくはこちら)を制定した。このように古墳時代〜飛鳥時代には、古墳やため池などをつくる土木技術、土師器(はじき >>詳しくはこちら)から須恵器(すえき >>詳しくはこちら)へとよりすぐれた器をつくる技術、製鉄の技術、養蚕と機織の技術そして漢字・仏教・儒教などの文化が渡来人から日本にもたらされたわけだ。」
A子:「へ〜〜、たくさん教えてもらったんだ。」
シュサイ:「ところが、聖徳太子が死んだ後、蘇我氏の勢力が強まり、天皇をしのぐほどになった。そして、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ >>詳しくはこちら)と中臣鎌足(なかとみのかまたり >>詳しくはこちら)が蘇我蝦夷(そがのえみし >>詳しくはこちら)・蘇我入鹿(そがのいるか >>詳しくはこちら)の親子を滅ぼして、政治の実権を握った。これが大化の改新(>>詳しくはこちら)だね。ちなみに、このときに初めて大化という元号が定められたので、大化の改新というんだよ。」
C君:「そうなんだ!」
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